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倭姫命の巡幸 10

 倭姫命の巡幸を辿る旅もだんだんと佳境になってきました。今まで巡った巡幸地は8箇所。今回は「桑名野代宮」(くわなのしろのみや)の比定地とされる「野志里(のじり)神社」を目指します。

当初の計画では鉄道を利用する予定でしたが、「県内」とは言ってもそこはもう「愛知県」と「岐阜県」との県境近く。両県に出されている「まん延防止等重点措置」が解除になっていない事などから、車での移動に変更しました。

近くのインターチェンジから高速道路に乗り伊勢自動車道から東名阪自動車道へ、桑名東インターチェンジで高速道路を降りて国道258号線を少し北に向かって走ります。混雑する258号線から少し外れるだけで長閑な風景が広がります。

駐車場に車を停めて歩いてすぐ。大きな御神木の下にここが「桑名野代宮」であることを示す石碑が建っていました。

細い道を挟んだ向かい側に「野志里神社」があります。境内に入ってまず目を引いたのは「鰻」と「鯰」の絵が描かれた看板でした。

これによると倭姫命はこの地で4年間を過ごし、人々に農業、織物、治水などを教えていたとあり、倭姫命が具体的に何をしていたかがはっきりと書かれています。これはとても興味深い内容で、以前推察した通り倭姫命が各地に様々な技術を伝えて巡った、それは国造りの為の基礎となるものであり、倭姫命は神宮を中心とした一つの国を創ろうとしていたのではないでしょうか。
何より当時の人達にとっては大きな技術革新であり、人々の暮らしは一気に「安定」したのだと思います。おそらく倭姫命の一行はどの地においても歓迎され、そこに暮らす人たちはこぞって土地や税を差し出し技術を教わったのだと考えます。

弱い人達を「力」でねじ伏せるのではなく、たとえ時間がかかろうとも自分たちの持つ「技術」を伝え、それで得た「糧」を「共有」することで絶大な信頼を得てゆく。

倭姫命の巡幸の目的は「天照大御神」をお祀りする地を探す事でしょうが、こういった「理念」を広めていく事こそが本当の目的ではなかったのかと思います。

そしてこの時、日本人の「共存意識」が芽生えたのではないでしょうか。

拝殿の前に立ち、いつもの様にお詣りをしました。

2000年前小さな里で地域の人々と一緒になって働いて、そして喜びを分かち合う。
それが今まで日本に続いてきた「歴史」であり「暮らし」そのものではなかったかと思います。

倭姫命の「志」は今も生き続けているのだと感じました。

寅寅寅

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