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倭姫命の巡幸 2

 倭姫命の巡幸について書かれた書物を古い順にあげると「日本書紀」「皇大神宮儀式帳」そして「倭姫命世記」の3書がありますが、倭姫命の巡幸については後年になるほど詳しく書かれています。しかしこれには研究者の方たちの意見も分かれていて、「倭姫命世記」は随分後になってから書かれたもので信憑性に乏しく、真偽も定かではないとする研究者の方もいます。ただ「日本書紀」の中には倭姫命が巡幸を行ったという記述は残されており、詳しい行動や経緯についてはわかっていないものの、全く根拠のないおとぎ話でもないようです。何より2000年以上前の人が何を考え旅をしたのか、いろんな想像を巡らせた方がロマンがあるというものです。

詳しい事は研究者の方にお任せするとして、私は「皇大神宮儀式帳」に書かれている15社を辿ることにしました。

 前回は「宇治家田・田上宮」跡を散策しましたが、今回は「玉岐波流・磯の宮」跡を散策したいと思います。

三重県伊勢市磯町にある「磯神社」が 「玉岐波流・磯の宮」跡ではないかと言われています。

鳥居をくぐり神社の境内に入ります。

大きな御神木の下に「磯神社」の事について書かれていました。

「元伊勢」と書かれていますが、内容によると宮川の洪水により神社が崩壊しこの地に移された、とあります。

拝殿に入ってお詣りします。

拝殿の隅には「なで石」と「おもかる石」が置かれていました。
「おもかる石」を持ち上げようとしましたが、腰を痛めそうなので諦めました。

拝殿を出てその脇から正殿を眺めます。朱塗りの屋根が印象的でした。

「倭姫命世記」によると倭姫命一行は船でこの地を訪れ、また河(外城田川?)を遡っていったという記述があるそうです。
どこへ向かったのかも興味があるところですが、今回はこれまでといたします。

次回は伊勢を出て明和町を散策する予定です。

寅寅寅

(参考文献:倭姫命の御巡幸/著者:楠木勝俊 監修:岡田登 他)

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