倭姫命の一行は「多気佐々牟迤宮(たけの ささむえのみや)」以前は「飯野高宮」居たと伝えられています。松阪市内に「飯野高宮」であったのではないか、いわゆる「比定地」とされている神社が二社あります。一つは松阪市山添町にある「神山神社(こうやまじんじゃ)」もう一つは下村町にある「神戸神舘神明社(かんべこうたちしんめいしゃ)」であります。倭姫命の一行はこの地に4年間居たと伝えられていることから、すでにこの地ではかなりの広範囲に影響力を持っていたのではないかと考えます。その後倭姫命の一行は櫛田川から船で伊勢湾に出て「多気佐々牟迤宮」「玉岐波流・磯の宮」と海岸線沿いを進んだ事から、まずは櫛田川近くにある「神山神社」を訪れてみることにしました。
今は櫛田川沿いに県道701号線が整備されとても走りやすい道になりましたが、ちょうどJR線と交錯する辺りに「神山神社」があります。神社の前に駐車場もあり、とても便利な場所にあります。
駐車場から通ってきた道の方を確認すると県道701号線の跨線橋があり、その先に「櫛田川」という河川表記が小さく見えています。駐車場のすぐ前に「神山神社」の鳥居がありますが、神社の鳥居はコンクリート製で、注連縄はナイロンのロープを編んで作られていました。確かに耐久性はあると思いますが、神社の「顔」だけに少し残念な気もします。
神社の看板や石碑を確認します。
御祭神は「猿田彦命」「天鈿女命」という事です。しかし看板にも石碑にも「飯野高宮」と書かれています。
境内に入って行くと石碑が立っていますが、その石碑には「飯野高宮 神山神社」と彫られています。という事は「飯野高宮」は他にもあって、そのうちの一社が「神山神社」というのでしょうか。むしろこのエリア全体の事を「飯野高宮」と呼ぶのではないか、とも考えられます。川の名前もこの辺りの地名にも「櫛田」という名前がついていますが、倭姫命がこの地にきて櫛を落としたから「櫛田」という名前が付いたと言われています。倭姫命がこの辺り一帯に強い影響力を持っていた事の証明ではないかと考えます。
境内を進み最初の石段を登ると驚くようなものが目の前に現れました。
写真を撮ったその瞬間、「快速みえ」が轟音を上げて目の前を通過していきました。
遮断桿も警報機もない踏切が神社の参道を横切っているのです。訪れる際にはくれぐれもお気を付けください。
気を取り直して先へと進みます。
石段を登り神社の拝殿の前まで来ましたが、ここの拝殿はきちんとした建物になっていて、扉を開いて拝殿に入りお詣りをするようです。
拝殿の中には「飯野高宮」と書かれた立派な額が飾られていました。かなり由緒のあるものではないかと思います。
お詣りを済ませたら拝殿を出て横に回り込み、本殿を斜め横から確認します。
こちらも立派な「神明造」であることがわかります。
全てを写真におさめることはできませんでしたが、境内には多くの神様が祀られていました。
2000年を経た今もなお、この神社も地元の方たちによって大切に祀られているのだと感じました。
倭姫命は皇女である以上に人を引き付ける魅力があり、庶民にもとても人気があったのだろうと思いました。
次回は「神戸神舘神明社」を訪れてみたいと思います。
寅寅寅
(参考文献:倭姫命の御巡幸/著者:楠木勝俊 監修:岡田登 他)