それでは「多気佐々牟迤宮(たけの ささむえのみや)」どこにあったのか。地図を調べていると前回訪れた「竹佐々夫江神社(たけささふえじんじゃ)」から北西にやや離れた場所に「佐々夫江行宮跡」というとこが見つかりました。更にその西、笹笛川の畔には「カチカラ発祥の地」というところがある事にも気づきました。さっそく出かける事にしました。
「伊勢松坂線」を北西に進んで行くと道路に案内板が見えてきます。
ただそこから先は道が狭く、軽自動車1台通るのがやっとの道でした。
「佐々夫江行宮跡」は周囲を田んぼに囲まれた場所にあり、冬に来てよかったと思いました。草が生い茂る初夏なら石碑のある場所までたどり着くのも大変でしょう。
どうやらここで間違いなさそうです。石碑の場所まで進んでいきます。
https://goo.gl/maps/3dy1pJbjPBMNbyFy7
そこからすぐの場所に「カケチカラ発祥の地」があります。
説明によると真鶴伝説が「神嘗祭」や「新嘗祭」の起源になったということでしょう。
記念碑が建てられたのは近年になってからのようですが、真鶴の伝説や倭姫命の時代の宮中のしきたりがやはり今の神宮の神事の元となったのだと考えます。
https://goo.gl/maps/xTb1RBi1VRVN2PUc9
確かに、今でもこの周辺ではさかんに稲作が行われています。倭姫命の巡幸には稲作に適した土地を探す、という重要な目的も隠されているのだと考えます。
次回は松阪市を散策したいと思います。
寅寅寅
(参考文献:倭姫命の御巡幸/著者:楠木勝俊 監修:岡田登 他)