前回「倭姫命」の旧跡地を訪ねた事で、倭姫命の巡幸にとても興味を持ちました。
「倭姫命」は天照大御神の鎮座する場所を探して大和の国を離れ旅を続けて行くのですが、一時的に身を寄せたところは「元伊勢」と呼ばれており、三重県内だけでなく他県でも沢山の「元伊勢」が存在しています。今回は「倭姫命」の巡幸に的を絞ってその足跡をたどることにしました。
「神宮」が今の場所に落ち着く前は「宇治家田・田上宮」に身を寄せていたと言われていますが、残念ながらこの神社はすでに存在しません。場所的には神宮神田の辺りではないかと言われています。
調べていると「くすお神社」という神社の名前が浮かび上がってきました。
「くすお神社」跡は以前歩いた三重交通朝熊線跡からもさほど離れていない場所にあるようなので、さっそく行ってみることにしました。
五十鈴橋を渡り朝熊線跡を少し歩いて小高い丘の上を目指して歩きます。
「木」へんに「豫」(よ)と「障」(しょう)それに「尾」とつなげて「くすお」と読むのでしょうか。楠を表す言葉のようですが、ここが「田上宮」の跡なのかは残念ながら断定できません。
では以前125社巡りの時にお詣りした神社がそれに当たるのでしょうか。引き返して神社を目指します。
皇大神宮摂社大土御祖神社
皇大神宮末社宇治乃奴鬼神社
皇大神宮摂社国津御祖神社
皇大神宮末社葦立弓神社(同座)
確かに両社皇大神宮の摂社であり末社でもありますが、それで「田上宮」とするのも無理があります。
半ばあきらめかけた時、隣にある氏神が気になり境内にある説明版を見ました。
ここで「田上乃神」と「倭姫命」という重要なキーワードが出てきました。
今の「くすお神社」は「田上社」との合祀で生まれたこと。そして「田上神」は先ほど訪れた「くすお神社」跡で祀られて信仰されてきた、という事なのでしょうか。
この言い伝えを信じれば、「家田・田上宮」は先ほど訪れた「くすお神社」跡にあった可能性が高くなります。
「倭姫命」は旅を続けながら「大仕事」を成し遂げましたが、決して目立たずひっそりと隠れるように暮らしていたのでしょうか。
想像するとますます「倭姫命」に興味が沸いてきました。
寅寅寅