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三重交通朝熊登山線跡を歩く。

 今回は三重交通朝熊登山線跡を歩くことにしました。この日は「楠部駅」跡から「朝熊駅」跡まで歩く予定です。

楠部駅があったところをもう一度確認します。

画面左上。国道23号線「楠部交差点」辺りに「楠部駅」があり、そこから画面中央の(+)印の鉄橋跡まで緩やかなカーブでつながっていたようです。この航空写真が撮られた頃(1960年代)にはすでに田んぼになっていますが、古い地図では確認することが出来ました。(残念ながら地図は著作権により掲載することができません)

先ずは洋服チェーン店の裏にある細い道を鉄橋跡まで歩きます。

現在の近鉄鳥羽線とはやや離れた場所に鉄橋があったと思われます。

当然鉄橋は存在しませんが、対岸に渡れば道がありそうなのでそのまま五十鈴川の堤防を下流に向かって歩きます。

子供の頃に祖母の家に遊びに来ると、当時は川で洗濯をしている人がたくさんいました。女の人達は洗濯をしながら楽しそうに話をし、その周りで子供たちのはしゃぐ声。とても懐かしい光景が蘇ってきて、思わず胸が熱くなりました。

今は架け替えられて立派になった五十鈴橋を渡り、今度は上流に向かって歩いて行きます。

すると先ほど対岸から見た場所に着きました。

ここから再スタートになりますが、歩き始めてすぐに民家の石垣の隅に重要な証拠となるものを見つけました。

丸に「ミエ」の「ミ」のマークが入った境界杭をいくつかみつけました。お気づきかと思いますが、このマークは三重交通の社章に間違いないと思います。

ここを朝熊登山線が走っていたことが確実になりました。

そしてそのまま進むと四郷小学校の横に出ますが、ここに「五十鈴川駅」があったと思われます。そして50年以上前に自分はここで線路の跡を見た事を、今でもはっきりと覚えています。

そのまま「神宮神田」に沿うように、真っすぐな道を歩いて行きます。

すると鳥居のちょうど前あたりに不思議なスペースが現れました。しかし朝熊登山線に何か関係があるのかは謎です。

直線道路が終わるとカーブを描きながら緩やかな坂に差し掛かります。

そのまま進むと下り坂の途中に「おかげバス」の「一宇田バス停」がありますが、坂の途中に駅があったとは考えにくい。もう少し坂を下りきった「一宇田東バス停」あたりに「一宇田駅」があったのではないでしょうか。残念ながら自分の手持ちの資料や地図では場所を特定することが出来ませんでした。

そしてまた謎の石積みの跡もありました。

ここからは道路沿いを朝熊駅方面に向かって歩いて行きます。

ここに「朝熊駅」があったと思われます。そして新しい橋を渡らずに川沿いを真っすぐ進んでいくと行き止まりになりますが、ここに今の近鉄鳥羽線と交錯するように鉄橋があったと思われます。

対岸に渡って確認します。

近鉄の高架橋の下の道路が、かつて朝熊登山線が走っていた跡になります。このまま進めば終点である「平岩駅」跡に到達しますが、今回はここまでとします。「平岩駅」から先は「鋼索線」(ケーブルカー)で朝熊山頂まで続きますが、最大652‰(パーミル)傾斜角約33.1度の真っすぐな山道を歩くとなるとかなりの困難が予想されます。ここから先へは万全の体制で臨まなければなりません。しばらくは次回の準備期間とします。

今回は子供の頃に思いを馳せながら歩くことが出来ました。祖父母が住んでいた町。祖父にカブトムシを取りに連れってもらった記憶。そして昔と変わらぬ小学校。校庭で遊ぶ子供たちの声に心が和まされました。

寅寅寅

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