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三重交通神都線跡を歩く 6

 今回は「楠部駅」跡から「内宮前駅」まで歩きます。五十鈴川駅で電車を降りて以前「松尾駅」に向かって歩いたのとは反対方向、内宮に向かって歩いて行きます。

今の地図と昔の航空写真を並べるとほぼピンポイントでここに「楠部駅」があったことがわかります。「南勢バイパス」が「神都線」跡に作られたこともよく分かります。

内宮方面へどんどん進み高架橋をくぐると、歩道は道路より随分下を進むことになります。南勢バイパスが作られた時に盛り土をされたのでしょう。「神都線」は元の地面に近い反対側にあったと思われます。

そして「月読宮前駅」はこの辺りにあったと思われます。

しばらく歩くと道路と線路がいったん分岐するところがあります。

南勢バイパスと御幸道路を合流させるためだと思われます。

御幸道路方面には進まずそのまま真っすぐ歩いて行きますが、このままでは「猿田彦神社前駅」にたどり着けないことに気が付きました。どこかで曲がらなければならないはずです。

スマホを取り出し航空写真を確認しますが、写真で見てもこの頃すでに更地になっていてわかりません。おそらく今市営駐車場になっている所、交番の横辺りを神都線は走っていたと考えました。

市営駐車場を突っ切って御幸道路を目指して歩くと、ちょうど目の前が猿田彦神社の駐車場でした。

なるほど。やはりこの辺りに「猿田彦神社前駅」があったのでしょう。

あとは信号を渡って内宮に向かってひたすら歩いて行きます。

ようやくゴールが見えてきました。

ここに「内宮前駅」があったのでしょう。この日も次々とバスが到着してはたくさんの参拝客が降りてきました。

ここはやはり「磁場」が違うのではないかと思います。

いつもの様に「おはらい町」も賑わっていました。

*あとがき*

 いつもの様に思い付きで始めた「神都線跡を歩く」編でしたが、ほぼ踏破できたので今回でいったん「完結」とします。しかし神都線より前に戦時徴用で廃線となってしまった「朝熊線」もあり、こちらもいずれは「番外編」として踏破したいと考えています。

1961年の1月に廃線となった神都線ですが、明治36年に開業してから大正・昭和と走り続けました。その間にはたくさんの人を運んできたでしょう。私の父親もその中の一人でした。人は徒歩での移動から電車や汽車へ、そして便利さを求めて自動車へと移動手段を変えてきました。モータリゼーションの波が「神都線」を廃線に追い込んだことは間違いないと思います。

しかし一方で車の運転ができないと、まともに生活すらできない状況になってきていると思います。路線バスもどんどんと減便され、いずれ廃線になってしまう路線もたくさんあるでしょう。市の高齢化も過疎化もこれがらどんどん進んでいくでしょう。そうなったら取り残されていく地区がたくさん出てきます。これから10年・20年という非常に短いスパンで「自動車」から別の交通手段に全て置き換えていかなければならないのです。

これからどういった移動手段が普及していくかはわかりませんが、誰ひとり取り残されない事を願うばかりです。

寅寅寅

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