今回は「朝熊登山鉄道」の手がかりを求めて朝熊山山頂を散策しました。
何時もの様に国土地理院の航空写真を手掛かりに「朝熊岳駅」跡を探します。
麓から山頂付近まで一気に伸びる鋼索線の跡がはっきりとわかります。
一部は今でも登山道として使われているようですが、途中から「朝熊岳道」と合流するようです。
こう見ると「朝熊岳駅」は「朝熊山金剛證寺」からは離れたところにあったことがわかります。
朝から伊勢志摩スカイラインを通って山頂を目指します。
薄雲がかかり風も冷たく感じます。
金剛證寺の駐車場に車を停め、トレッキングシューズに履き替えて八大龍王へと向かう山道を歩いていきます。
舗装路に出ますが「八大龍王社」方面には向かわず下山口方面へと歩いていきます。
そのまま進んでいくと「朝熊岳道」と「宇治岳道」に分かれますが、「宇治岳道」の方へ歩いて行きます。スマホで目的地を登録しておいたので、地図を確認しながら進んでいくことができ迷う事もありません。(あらかじめ地図はダウンロードしておいた方が安心です)
いつもの様に犬にほえられながら「宇治岳道」を進んでいくと、昔の石積みの跡がところどころに見られます。
どうやらこの辺りに何かの施設があったのでしょう。
一部に立ち入り禁止区域がありますが、麓をのぞき込むと「朝熊岳駅」跡らしき建物が見えました。
地理院地図はGPSと連携することによって、現在位置と昔の航空写真と比べることもできますが、それのよるとやはりここに「朝熊岳駅」があったことに間違いはなさそうです。
もっと近くに寄って確認したかったのですが、立ち入り禁止のロープが張られており、ここで調査は諦めることにしました。
帰りは来た時とは別のルートで、旧参道を歩いて金剛證寺に向かいました。
登山鉄道に登山バスそして旅館。
かつての朝熊山はそれ自体が一大観光地であり、たくさんの人が「朝熊山金剛證寺」をお参りに訪れたのでしょう。伊勢市は「神宮」だけでなく、朝熊山や二見浦を含めた広大な「観光エリア」であったことが見えてきました。今新たに鋼索線やロープウェイを敷設するとなれば膨大な資金が必要でしょう。
戦争はいろんなものを奪っていきました。
神都線や登山鉄道跡を追っていて、やはり戦争の辛さや虚しさが少しながら解かってきたように思います。
寅寅寅