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倭姫命の巡幸 8

「鈴鹿小山宮」

 今回は更に北に進み「鈴鹿小山宮(すずかのおやまのみや)」の比定地とされる「忍山神社(おしやまじんじゃ)」に向かう事にしました。この辺りでは縄文時代の土器が出土しているとの事で、住んでいたのは猿田彦命の一族ではないかと言われているそうです。倭姫命がこの地を訪れた時迎えたのが「忍山神社」の神職である「忍山宿禰」であり、長女の「弟橘媛(おとたちばなひめ)」は「日本武尊」の妃になったとの事。長い歴史のある神社であり、天皇家とも親戚関係があるという事でしょう。
倭姫命が「忍山神社」にいた期間は半年とされています。何かをした、というより一時身を置いたというところでしょうか。この時に倭姫命と忍山宿禰が「日本武尊」と「弟橘媛」との婚姻について話し合ったのかも知れません。

いつもの様にマップで駐車場を探すと神社の専用駐車場があるようです。これは助かります。前回と同じように中勢バイパスを北へ進み、県道10号線で亀山方面に向かいます。遠くに見える鈴鹿の山も雪を被っているのが良く見えました。雪道は慣れていないので、先へ進むならもう少し温かくなってからの方が良さそうです。

神社の駐車場に車を停めて近くの入り口から境内に入ります。

ここも2の鳥居は様式が違っていました。

どうやら神職も常駐しているようで、御朱印もいただけるでしょう。

立派な拝殿ですが、ここも中に入ることが出来ず格子の間から賽銭を放り込んでお詣りしました。倭姫命が立ち寄ったとされるものは拝殿の脇、狛犬の後ろに建てられた小さな碑しか見られませんでした。

いつもの様に拝殿の横に回って本殿を拝見させていただきました。

拝殿と本殿との間が長くとってあるようです。写真ではわかりにくいですが、こちらも内宮と同じ様式です。

何かほかに倭姫命の痕跡のようなものがないかと探しましたが、特に目につくようなものは見つけられませんでした。

しかし何より甥の「日本武尊」と、この地の有力者忍山宿禰の長女「弟橘媛」が婚姻したことがその証拠になるでしょう。

しかしその後「弟橘媛」は「日本武尊」の東方遠征に同行して船で海を渡っているときに大嵐に遭い、先に進むことが出来なくなったので自ら海に身を投げて「日本武尊」を救ったと伝えられています。

倭姫命もさぞ悲しんだ事でしょう。

帰りは違う入り口から帰ります。

こちらには真新しい石碑が建てられており、鳥居の反対側には祭神について書かれてありました。

やはりここは「猿田彦命」の元領地であり、天皇家との深い繋がりも伺わせる内容だと思いました。倭姫命にとっても、どうしても立ち寄らなければならない場所だったのかも知れません。

次回は「桑名野代宮」を訪れる予定ですが、雪の心配がなくなる事と感染症の広がり方に注意して行動したいと考えています。

寅寅寅

(参考文献:倭姫命の御巡幸/著者:楠木勝俊 監修:岡田登 他)

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