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三重交通神都線跡を歩く 5

 前回は「二見駅」から「汐合駅」までを歩きましたが、今回は「汐合駅」から「本町駅」まで歩きました。

近鉄宇治山田駅から「今一色」行きのバスに乗り、「汐合」バス停で降ります。

利用者が減ってバスの便もかなり減っています。ちょうど良いタイミングで9時47分の便がやってきました。乗客は自分ひとり。しかし路線バスに乗るのはいつ以来でしょう、そう考えながらバスに揺られて25分程で「汐合」バス停に到着しました。ここから「本町駅」(伊勢市駅)を目指して歩きます。「汐合橋」は随分古くからある橋で、歩道もありません。欄干も低く歩いて渡るにはちょっと怖いような橋ですが、対岸に渡って前回撮影した橋脚を写真に撮ります。

こちら側から見た方が良く分かりますね。

道路の右側を歩いて行くより、左側の方が安全だと思います。

しばらく歩くと国道42号線と交わる交差点が見えてきます。

三角地帯の中を歩いて行くと、真っすぐな直線が続きます。

そのままどんどん歩いて行くと「通り口」バス停がありますが、「通駅」はもう少し手前で鰻屋さんのある信号辺りにあったと考えます。

通インターの下をくぐりぬけると、なぜか突然線路が蛇行を始めます。

喫茶店のある辺りから蛇行が始まり、「学校前」(現浜郷小学校)まで続きます。

今の地図には書かれていませんが、喫茶店の左にある細い道が神都線跡なのでしょうか。行き止まりのようなので道路から喫茶店の裏側にある道に入ると、驚くべきものがありました。

これは「避溢橋」(ひいつきょう)※1 の跡ではないでしょうか。だとすれば神都線跡として残された数少ない場所の一つという事になります。

※1平地で水の逃げ道として作られる鉄道橋

その先を見ると「学校前駅」までつづく道があります。

道路は小学校の前を真っすぐ走っていたので、これは間違いなさそうです。

「学校前駅」はこの辺りにあったと思われます。

さて以前神都線は黒瀬の街中を走っていたのではないかと推理しましたが、航空写真をよく確認するとやはりここから「二軒茶屋駅」までは道路と並行して走っていたようです。むしろ神都線沿いに道路が作られた、と考える方が正しいのではないかと思ったからです。

ここからは道路を渡って歩道のある右側を歩いて行きます。

しばらく道なりに歩いて行くと、「二軒茶屋駅」跡付近に差し掛かりました。

航空写真をよく確認すると、この写真のところ(橘神社あたり)からは道路から離れていき、先の線路へとつながっています。これなら「河崎駅」方面から来る線路と「中山駅」方面から来る線路が綺麗につながります。そしてもう一つ。「二軒茶屋駅」は乗客が乗り降りする2線と、引き込み線がもう1線あり「貯炭場」があったそうなのです。
だとすれば車が信号待ちをしているあたりに「貯炭場」があったのではないでしょうか。そして自分が立っている辺りに「二軒茶屋駅」があったに違いありません。

辺りに「河崎駅」方面へ向かう線路跡はないかと探していると、どうやらそれらしいところが見つかりました。

ブロック塀の隙間から、先日見つけた神都線跡らしき道路が見えます。

少し強引でしたがそのまま突破します。

どうやら正解のようです。

真っすぐな道をどんどん進んで行くと、見覚えのある風景が見えてきました。

そしてここまで来てようやく自分の中で神都線が一つの線路につながった気がします。

振り返って今まで歩いてきた道を確認しました。

帰りは今回も河崎の町を歩いて行くことにしました。自分へのご褒美の意味も込めて「つたや」さんでお昼ご飯にしようと入り口の引き戸を開けると、開店して2分ですでに満席でした。

仕方なくそのまま宇治山田駅まで歩いて、駅前で食事をすることにしました。

駅前のソウル・フードと言えば「まんぷく食堂」の「からあげ丼」ですが、さすがに「並」を食べられる自信が無かったので「プチ・からあげ丼定食」にしましたが、それにしてもこのボリュームです。

満腹になったので腹ごなしに伊勢市駅までさらに歩く事にしました。

そして「本町駅」付近に到着。

歴史はこれからも続いて行きます。

未来にはどんな交通手段が残されているのでしょうか、路線バスも「神都線」と同じように無くなってしまうのでしょうか、そう考えると少し寂しい気がします。

次回は「楠部駅」から「内宮駅」の間を歩く予定です。

寅寅寅

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