今回は伊雑宮と天の岩戸を散策しました。
神宮について考察するとき、伊勢市近辺だけにとらわれると全体が見えてきません。「伊雑宮」は「倭姫命」が志摩を訪れた時に「伊佐波登美命」に命じて建立されたと伝えられていますが、これは神宮の「勢力」が志摩まで及んでいたという事になるでしょう。「内宮」と「伊雑宮」は今でも「伊勢道路」で最短距離で結ばれ、その間には「天の岩戸」があります。当時の人も伊勢と志摩を頻繁に往来していたのかも知れません。
早速伊雑宮を参拝することにしました。
125社巡りの時にも訪れましたが、今回は少しエリアを広げて散策します。何より倭姫命にまつわる場所があると言うので興味を持っていました。
伊雑宮から少し歩いた住宅街の一角に「伊佐波登美命」を祀る神社と「倭姫命」が住んでいたとされている場所がありました。
「倭姫命」は長い旅を終え、伊勢神宮と伊雑宮の建立を見届けて最後はここに身を置いたという事でしょうか。
伊雑宮の駐車場に戻り、御神田を眺めながら考えます。
結論は出ませんが「倭姫命」がこの地に稲作文化をもたらしたのは間違いないと思います。
伊雑宮を後にして伊勢道路を内宮方面に向かい、次は「天の岩戸」を目指します。
伊勢道路から外れやや狭い道を進んでいくと「天の岩戸」の駐車場があり、そこから歩いて200mほどのところに「天の岩戸」があります。
岩戸の中からはこんこんと水が湧き出ています。この水が水源となり下流に稲作に適した土地をもたらしているのでしょう。
天の岩戸からさらに脇の山道を歩いて「風穴」と「猿田彦の祠」を目指します。登っていくと分かれ道になりますが、まずは風穴を目指しました。
最初は歩きやすい道でしたが、先に進んでいくと木々の根やら石や岩がゴロゴロしており油断が出来ません。何とか「風穴」までたどり着くことができました。
何やら異様な雰囲気に包まれいて、長居する場所ではなさそうなのですぐに引き返しました。
先ほどの場所に戻って今度は「猿田彦の祠」を目指して歩きます。
しかしこちらの方も道は木々の根に覆われ、さらに足元が悪くなっています。どんどんと山を登っていくと車やバイクの音が聞こえてきました。どうやら伊勢道路に向かって山を登っているのでしょう。もうすぐ「逢坂峠」に差し掛かるというところに「猿田彦の祠」がありました。
大きな杉の木の根元にある小さな「祠」がそれでした。
お詣りをした後先ほど登ってきた道を引き返しますが、トレッキング・シューズに履き替えてこなかった事を後悔しました。途中で若い男女とすれ違いましたが、ずいぶん軽装なので心配になりました。
山を降り駐車場に戻ると随分と汗をかいていました。ダウン・ジャケットを脱ぎ車に乗り、駐車場を出て伊勢道路を内宮方面に向かって走ります。
どこまでも続く神宮林の中を進んでいくと、当時の人の体力は如何ばかりだったのかと考えました。「倭姫命」もこの山を越えたのでしょうか。
いずれにせよ遥か大和の地からここまで来るのには、体力のみならず凄まじいエネルギーも持っていたのだろうと想像を巡らせました。
寅寅寅