伊勢音頭で「伊勢に行きたい伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と歌われているように、昔から伊勢神宮に参拝するのが人々の夢でした。特に江戸時代になってからは「おかげまいり」といって、たくさんの人が一気に押し寄せた時期があり、およそ60年周期でこのようなブームが起きていました。
記録によると、1830年のブームでは半年間で460万人が伊勢神宮を訪れた、との事です。当時の日本の総人口が2700万人ほどだったと言われているので、半年間で日本人の1/6が伊勢神宮にお詣りしたことになります。
なぜ60年周期でこのようなブームが起きたかはよくわかりませんが、「・・せめて一生に一度でも・・」ということは、最後に夢を叶えるために「伊勢路」を目指したからかも知れません。
当然のことながら移動手段は徒歩ですが、江戸から歩いて半月ほど、東北からだと3カ月以上かかったとの事です。まさに一生に一度の大旅行だったのでしょう。
当時の人達はどういった想いで伊勢を目指したのでしょう。私も伊勢神宮を目指して伊勢街道を歩く事にしました。
スタート地点をどこにするか考えましたが、斎王宮のあった斎宮から歩くことにしました。
斎宮ウォーキングマップ
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/50350036174.htm
近鉄山田線「斎宮駅」で降りて歩き出します。
駅を出てまっすぐ歩いていくとすぐに「伊勢街道」に突き当たるので、「竹神社」の方向に向かって歩いて行きます。
道幅は車2台がすれ違う事が出来るギリギリの幅で、交通量もわりと多いので注意が必要です。
道の両側に昔ながらの家が軒を連ねていますが、戦後すぐくらいに建てられた家が多いのではないでしょうか。
歩き始めて10分程で「竹神社」に到着。せっかくなのでお詣りをしました。この神社はいつもきれいに手入れをされています。
更に歩いて行くと、「六地蔵石撞(ろくじぞうせきどう)」という案内板が目に入りました。室町時代からある石撞で、六面に地蔵が彫られています。
さらに先に進んで行きます。
かつてはこの街道もたくさんの人が歩いていたと思いますが、今となっては歩いている人はほとんどいません。歩いているすぐ脇をたくさんの車が通り過ぎていきます。
この街道を昔の人はどういう気持ちで歩いたのか、来る日も来る日も伊勢を目指して歩き続け、ようやくあと1日ほどでたどり着けるところまで来たのです。みなが「わくわく」するような気持で歩いていたのだと思います。
自動車が今の様に普及してからまだ50年ほどだと思いますが、便利さと引き換えに無くしたものも多いと思います。
初夏の日差しを浴びながら、時折吹く風に心地よさを感じ、町並みを、軒先の紫陽花を眺めながら歩く。今の自分たちが無くしてしまった「時間」なのでしょう。
「明星(みょうじょう)」辺りに差し掛かると「そうめん坂」という案内が目に入りました。緩やかな上り坂ですが、この辺りに何軒かの茶屋があり「明星茶屋」と呼ばれていたらしく、「うどん」や「そうめん」を提供していたことから「そうめん坂」と呼ばれていたとの事です。
この辺りまで来ると古い「蔵」のある家が見られるようになります。
さらに進んで行って、もう少しで明和町から伊勢市に入ろうかというあたりに「弘法大使堂」があります。江戸時代に信者が建てたと言われています。そしてようやく伊勢市までたどり着くことができました。
さらに進むと「徳浄上人千日祈願の塔」があります。村の無病息災を祈願して、裸足で1000日間伊勢神宮にお詣りしたと伝えられています。
少し歩くと「しいの辻」と言われる三叉路に差し掛かりました。大きな椎の木があったことから「しいの辻」または「しい」と呼ばれていたそうです。この三叉路を右へと曲がると更に交通量も増えます。道幅が狭いので注意しなければなりません。
少し歩いて行くとこの日の目的地「へんばや商店本店」に着きました。
ここまで旅を続けてきた人たちが、最後の難所「宮川」を渡るために馬を返したことから「返馬(へんば)」と名がついたとの事です。
普段は甘いものは殆ど食べませんが、最近は1個でも販売しているのでお土産に買って帰りました。
”つるん”としていて柔らかいお餅に焦げ目がつけられているのが特徴です。
伊勢のお餅の中でもこれが一番。と言う人もおられます。
へんばや商店HP
さてこの日はここまでとします。歩いた時間は1時間40分ほど、距離にして7kmほどだと思います。
後編ではいよいよ宮川を渡って伊勢神宮(外宮)を目指して歩きます。
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